スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜
ドイツ人を父、ロシア人を母として生まれたゾルゲは、共産主義がこの二元性を解決するものと信じて赤軍に入り、スパイの指導者に仕立てられた。一九三五年、ソ連第四局の密命を受け、東京ドイツ大使館を根城に“ラムゼイ”と名づけられた組織の中には、ゾルゲの他に、通信社の特派員のブラノフスキー、無電技師クラウゼン、近衛内閣嘱託の平和主義者尾崎秀実、アメリカ帰りの画家宮城与徳、共産党の闘士である漁師のヨシらが活動していた。親独派をよそおうゾルゲは、日本の政界や軍部の動静を尾崎から入手し、クラウゼンに命じてモスクワに打電、また小型キャメラで写したマイクロフィルムを香港経由で送っていた。